2000年の12月に、農林水産大臣から日本学術会議に対して、「地球環境・人間生活に関わる農業及び森林の多面的な機能の評価について」の諮問があった。それに対して、学術会議は、二つのワーキンググループを作り議論し、2001年11月1日、農林水産大臣に答申を行った。この答申は林野庁とも議論を重ねながら作ったものであるが、答申の3章に森林の多面的機能があり、一番最初のタイトルに「森林の多面的な機能」とある。農業の多面的な機能には農業生産を含まないが、森林の多面的機能は林業生産を含むということで「な」が入っている。
パネル説明:50〜80年前の日本の山の荒廃の状況。岡山県の荒廃の状況、岡山県の事例。日本の森林は変わってきている。現在でこそ、国土の三分の二が森林ということになっているが、50年、100年、200年前は、荒廃地があり、豊かな森林は、国土の半分くらいまで減ったことになっている。日本の特に里山はかなり荒れていたという認識がないと、天然林が蓄積を増やしたといえない。基本的に天然林は蓄積を増やさない、増やしているように見えるのは、天然生林、天然林らしい二次林が蓄積を増やした。
どうしてこのように山が荒れたかというと、江戸のはじめから中期にかけてで、室町の終わりから江戸の200年間に日本の人口が3倍に増えた、それに合わせて山が悪くなった。江戸時代の中期以降、日本の山はかなりひどい状態だった。これは一般には認識されていない。
日本の森林の現状は、量的には回復あるいは回復の途上である。森林は何かというと、植生であり、自然環境の構成要素の一つである。弥生時代の前は、人間は森林の中に住んでいた。
環境の構成要素に人類が関わっているが、ほかの要素に比べ植生や森林というのは実は結構弱い要素である。逆に、弱いから人間が関わらないとならない。弱い要素であるが、環境の一要素であるので、地球環境のいろいろな問題に森林が関わってくる。
森林がそのような状態になるのは、でかいこと、永遠性(長い年数)があることである。
地球は46億年の間に変化している。基本的には寒冷化している。大気の組成が変わっている。大陸移動があり、大陸が分裂して生物の進化が起こった。一番重要なのは20億年より前は大気に酸素がなかったということで、二酸化酸素は最初は90%以上あったがそれがだんだんなくなり、ほとんどゼロに近づいた。このように地球大気が変化しているが、それは地球全体の相互作用で変化した。特に、酸素が大気中に出てきたのは、その前の海の中の光合成生物の進化の結果である。その「酸素が20%近くになり、紫外線を遮断し、オゾン層が形成された。オゾン層ができたことにより紫外線をカットでき、陸地の上に生物の世界が広がった。それが4億2千万年前。
従って、オゾン層の破壊は人間を含めもう一回海の中に戻らなければならなくなるので怖い。最初に出てきた植物はシダ植物でそれは石炭紀の森林である。木製のシダはまだこの時代、陸上の生物が進化して初期の頃なので、有機物を分解する微生物の進化の方がついてこれなかった。シダはリグニンが多く、それが全てどうして石炭や石油になったのか、よく分からない。現在の森林よりもCO2の固定をしていたことになる。現在の森林は石炭や石油にはならない。当時の森林は石炭や石油になった。
その後、種子植物の針葉樹がでてきて、大陸の内陸部まで森林が広がった。森林は蒸発散するので陸地の上を海面と同じように蒸発面に変えていく、蒸発面が広がったのは、針葉樹が広がった後で、地球の安定化に貢献した。その後出てきたのは裸子植物でこれにより動物との共進化、生物多様性が生まれた。最後に、人間の祖先が生まれた後で、氷河時代がきて、シベリアの草原ができた。そうすると、地質時代の森林は我々の生活や環境に役立っていることになる。
つまり、森林は約4億年をかけて、陸地の上に森林が存在することを前提に現在の地球環境が創造され、その中から人間も進化して誕生した。そこまでさかのぼらないと森林の本質が分からない。日本人がどこから来たかという説があるが、少なくとも森林の中で、縄文の1万年間は森林の中で住んでいたので森林を利用した。あるいは、農業が入ってきて、山と一体になり、文化や風土、民族性が形成された。
森林の多面的機能に関する答申の中で、もう一度、森林の原理を考えてみた。日本人の文化や民族性は永い間の森林とのかかわりの中で形成され、森林は日本人の心にも影響を及ぼしている。森林の基本的な機能は環境の要素である。その要素を我々は使って生きてきた。使うと便利であり、豊かになる。木材の生産は光合成生産物の最も効率的な利用で、その物質を森林の外に持ち出すことを弥生時代からやってきた。持ち出すことは森林との関係でトレードオフ(trade-off=一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の関係)の関係になる。
それをうまくやるとサステナブルな森林の管理になる。森林の多面的機能は答申では8つの機能に分けている注)。生物多様性保全機能は、遺伝子の保全、生物種の保全、生態系の保全を意味し、従来の鳥獣保護や天然記念物の保護、野生動物の保護を含む、森林の本姓である生物そのものにかかわる概念で、森林の生物多様性維持機能というのを4億年の森林の進化を含めた歴史をそういう言葉で現している。単に遺伝子の保全、生態系の保全以上の意味をこの答申では、生物多様性保全機能に含めている。このような根源的な機能は基本的には計算はできない。あるいは日本人の文化を形成した機能は計算すべきものではない。8つの機能を整理すると、そのうち大部分の機能は、少なくとも5つの機能は森林の環境保全機能である。その中の物理性の機能については、量的にも議論ができる機能である。
注:森林の多面的な機能の分類
(1) 生物多様性保全機能
(2) 地球環境保全機能
(3) 土砂災害防止機能/土壌保全機能
(4) 水源涵養機能
(5) 快適環境形成基能
(6) 保健・レクリェーション機能
(7) 文化機能
(8) 物質生産機能
しかし、もっと重要なのは、森林の多面的機能は全体としてどのような内容があるかということで、極めて多様な機能を人間に対して持っている。しかし、その機能の一つ一つはそれほど強くなく、限界がある。多くの機能を重複して発揮でき、総合的に強力なことが森林の機能の特徴である。にもかかわらず、森林を管理している以外の人間が、自分の興味を持つ機能を追及する傾向がある。林業の人は木材生産だけ考えたり、自然保護の人は自然保護だけを考える。しかし、どれも深く追求するとそんなに大きな力がない可能性がある。
従って、全体が一番うまいところにバランスをとって管理することが森林管理の極意であるが、科学的には難しい。一つ一つの機能追及は簡単であるがなかなかそうはいかない。この答申の中で一番面白いのは、いろいろ森林を考えていく上でのトピックスをあげている。その一つに現在の土地利用を大きく分けると考えると、都市と農耕地と森林に分け議論をしている。農林は一体で太陽エネルギーの下で光合成により成長し、一体となるが、現実の農と林はぜんぜん違う状況を持っている。農は、工とほとんど同じ生産をしている。化石エネルギーを使い、化学肥料を使い、水も潅漑用水はポンプを使い、機械化も森林よりはるかに進んでいる。それだけ人工エネルギーが入っているから大きな生産性があがり、都市に住んでいる人間を養っていることになる。
62億の地球の人口のほとんどは都市に住んでいる。そこに、エネルギーと物質が集中する。そういうものとそれを支える農地、それと森林を考えると、森林は現在も未だに潅漑も肥料もやらず、太陽エネルギー依存の世界。だから汚染もなく、きれいな水がでてくる。そうなると、農耕地と森林との間に、バリアを張らないとならなくなる。そういうことを考えた上で、森林と都市の共生を考えとならない。だから、森林に入るときには自動車で乗り込むのでなく、動物の人として森林に入るべきで、グリーンツーリズムというが、そういう基本の上で、都市との共生が必要ではないか。
学術会議では、循環型社会という特別委員会があり、そこで議論しているが、現在の循環型社会形成推進基本法でいわれている循環型社会のさらに先にいけないかという議論をしている。その中で現在の循環型社会よりも大きな長い視野で見た場合どうなるかということを検討している。
地球環境の要素は広がってきている。都市となると独立した環境の一要素となる。太陽エネルギーの下で、あれだけの農地で生産されるエネルギー、食料で暮らせる日本の人口は江戸時代の3千5百万人程度である。それが明治時代以降、1億2千万人までに増えたのは、当然、化石エネルギー、地下資源を使い、都市社会を作ってきた。
となると、森林が炭素を固定してそれを地下に閉じ込め、森林が大陸まで徐々に拡大し、人類の文明発祥以前の森林環境史と産業革命以降の森林環境史はどうなるかというと、森林は徐々に減少している。あるいは、人類が化石燃料やその他の地下資源を使ったものを再び地上に戻した。なぜかというと、森林は炭素を固定し、それを地下に閉じ込めていた。これが、46億年の地球史である。
地球史というのは、生物を含めた環境系が共進化していった。それが、こういう方向で、地球の地上の上の森林を広げていった。あるいは地下にものを閉じ込めていった。これは鉄まで入る。そいういものを産業革命以降、逆に戻していった。それは、地球環境系の共進化の方向と逆行する。近代文明は、大量生産・大量消費・多量廃棄につながったがそういうことをやってきた。
そうすると、今までないものがでてきたので、廃棄物や有害物が出てきた。そうなると本当の循環型社会というものを考える時に何が問題かというと、学術会議の循環型社会の最終報告を策定する段階にあるが、現代社会を都市的な社会と表現し、地球史、人類史の中で循環型を評価してみようとしている。そうすると、循環型社会の方向性を地球環境の共進化ととらえ、何とか生き延びていくためにうまく共進化させる技術をみんなで考えていかなければならない。
循環は当然であるが、省エネの方が重要でないかというのが現在の議論である。同時に、3R循環型社会は、都市の循環化しか提案されていない。当然、都市をとりまく、森林、農地等全域の循環化を考えていかなければならない。それを全体として社会の中でやっていかなければならない。
全体を都市の循環型をさらに進化させるため、循環型グリーン産業の育成と同時に、さらにそれを取り巻く、水を含めた自然の循環の健全化を含めて循環型社会として考えていかなければならない。それはライフスタイルの転換からやっていかなければならない。
経済的な問題、法的な問題も関わっていくだろう。全体としては、工業、生産では循環させていくこと、マテリアルリユース、製品のリユース、リユースということは、逆に戻せるので、材料もリユースして、例えば、自動車会社が鉄をリユースして、鉄の会社に戻すこと。マテリアルリュースが一つの循環の究極的な形である。作った製品もリユースすると消費者はレンタル利用する。工業的製品はそうなるが、バイオマスや食料を扱っているものは、これは消費者を含めた生産とのバイオマス循環を作っていかなければならない。それが農村であり、都市の消費者を結ぶものである。
循環に対し、地下資源などの利用を少なくする。エネルギーも循環するエネルギーでやっていかなければならない。
そういうものを考えた森林の管理も必要ではないかと思われる。
日本の森林の特徴は、急斜面が多いことで、イギリスのような山であれば開発されつくした可能性がある。急斜面に森林があるから残っている。残っているから環境の問題も何とかなっている。そういう国土にある森林であり、雨も多く成長もよい。
日本の森林には欧米にない、治山や砂防の分野が、森林の中にある。そういうものが一体となった管理をしなければならない。林業や生態学だけの森林管理では、日本の森林管理はできない。日本独特の森林管理、森林論を作っていくべきである。
その辺を答申には含んでいるので、後ほど見ていただきたい。
化学工学という学問は、全体をシステム的に解析して、何らかの指針を示すことをやっているので、その意味で持続可能な循環型社会の形成に役に立てるのではないかと考え、次の学術会議の化学工学研究連絡委員会でもこのテーマで取り組む。その結果を踏まえて話したい。
エコトピアという言葉があるが、これは米国の科学者のEmest Caallenbachが1981年に将来の資源を循環しながら自然と共生するという意味でエコとユートピアのトピアを加えた名前である。カレンバッハの考えているエコトピアは、我々の考えているものと少し違っている。京都大学の内藤先生が環境調和型社会としてカレンバッハの名前を借りて、持続可能な社会、自然と共生し、人間が住みやすい美しい社会ということで発表されたものが近い考えである。
世界の人口増加は64億人の人口が今世半ばには90億に増加すると言われているが、学術会議の日本の計画という報告があり、その中で行き詰まりにきていることが指摘されている。以前は文明の進歩により新大陸が発見されたり、領土が拡張されるということがあったが、地球の限界がきて、むしろ発展ということを考えてはいけないとされている。
エコトピア社会とは、生態と資源の循環が図られ、自然と調和する美しい社会が将来いつまでも続くというイメージである。
化学工学は、19世紀の終わり頃から出現した学問で、元々は化学プラントの設計や装置、変化を解析したりするものである。それが、化学プラントのシステム、社会のシステム、地球環境など、全体を捉えて最適化する方向に来ており、対象は化学プラントに限らなくなっている。
エコトピア社会の解析にも使われ、全体をまとめるような形で関わっている。その要素としては、ものを作る動脈産業と環境技術、静脈産業など様々あるが、エコトピアを創るには統合化が必要になる。持続可能な循環型社会には環境とか安全などいろいろなキーワードがあるが、それを支える知識基盤が大切である。同時に何らかの経済的発展をする必要がある。そのようなものを結びつけて社会の貢献をすることが望ましい。
持続可能な循環型社会にはいろいろな要素があり、3R(Reduce=廃棄物の発生抑制・Reuse=再使用・Recycle=原材料としての再利用)は政府がキャッチフレーズとしており、それに伴い法制度も整備されているが、評価法というものも重要である。
ライフスタイルの転換というところに最終的に行き着くのではないか。ゼロエミッション(zero emission =固形廃棄物、排水、排気などの排出物をいっさい生み出さないこと。原材料の選択、製品の設計等の段階から、製品が廃棄物となった後の段階まで環境に配慮した活動。)や廃棄物の処理などを総合化して循環型社会を作ろうとして、環境基本法を柱として、各種のリサイクル法が既に出来上がっている。環境基本法の元となる環境基本計画は、有限な資源をなるべく長く使うことで、環境の自浄能力の範囲で生態系の機能を維持し、生物多様性がなくなることを回避しようというのが根本的な思想である。化学工学の立場からのいくつかの技術的提案をまとめると、
最初はプロセスで、物質生産の立場からの議論であるが、循環型社会形成に適応するようなプロセスのインディスケーション?を行う。それから、長寿命化、共通部材はお互いにリユースすることが必要で、循環システムとしてなるべく廃棄物を出さないようにする。そうはいっても最適化も必要で、全てを循環させることは無理なので、アセスメント(assessment=評価、事前評価。)をしっかりして、循環すべきものは循環させ、そうでない処理をした方がよいものはそのような処理をすることも必要である。その一つの手段として異業種間の循環型も重要である。
さらに、細かく説明すると、プロセスインディスケーション?、プロセス評価であるが、化学プロセス、金属材料の製造プロセスなどに共通するが、コンパクトで効率よく安全なプロセスを作らなければならない。化学産業の立場から見ると装置とか手段など、いくつかの技術は応用されているものがある。例えば、遠心力を使った重力よりも早い、超音波などを使ったものなどが必要である。マイクロリアクター(微小反応装置)という精密にコントロールされるリアクターなども手段として必要である。超臨界流体は食品関係で広がっているが、様々な分野で使われる。
もう一つの要素として、工業プロセスから見ると製品の超寿命化を図ることが必要である。それにより、材料の消費が減少するし、エネルギーも減少する。その役に立つ要素として、共通部材を使うことも必要である。
ゼロエミッションを考えた循環システムは、ものは循環して、なるべく自然のエネルギーを使い、循環できる原料を使い循環したいわけである。その意味で、物性を高度に利用することも考えなければならない。熱力学のエクセルギー(有効エネルギー)というエネルギーの質の問題もある。ある常温から見てどれだけエネルギーレベルが高いか。高圧蒸気であれば、低圧蒸気。エクセルギーが高いものから低いものへと移し、その間にエネルギーを取り出すこと、順番に順々に使い、カスケード(cascade=直列)に少しずつ使うこと。
それから、物質の物性を使い、それを共通部材として利用していくこと、最終的には廃棄になるが、エネルギー的な考察をしながら物質循環をしなければいけない。廃棄物の処理はいろいろなところで開発されているが、有機系の廃棄物もなるべく元に戻すこと、この時に、バイオプロセス(微生物機能を活用した多様な生産システム)の応用が有機系の廃棄物を減らすことに役立つ。無機系の廃棄物も有用金属の回収を行う。難処理のものもいろいろな技術で上手に処理する。単に、物質を循環するのでなく、エネルギーを考える必要がある。ポテンシャル(potential=可能性としてもっている能力。潜在的な力)とエネルギーを総合的に考える必要がある。低エネルギーで高付加価値の製品を作るなどいろいろなプロセスを考える必要がある。全体としては自然エネルギーを上手に使う。
同時に地域で循環させること、循環型社会の例では、屋久島の関係では有機系の廃棄物も上手に使う。できるところからやっていくのも一つの方法である。
異業種間で取り組むこと、ある業種の廃棄物は他の業種で使えるということがある。ハイプラと塩ビの関係では、ガス化してアンモニアエタノールを作る。これは捨てるほうがお金を出すシステムになっているので成り立っている面があるが、将来のために考える必要がある。
持続型社会を作るためには評価が重要である。特に、トータルに評価する。エネルギーの視点、その他の視点などがあるが、そこに時間の定数を入れた時間の経過を入れた評価を行うことが重要である。
評価の対象は、社会システム、政策システム、あるいは製品などで、トータルな統合的な評価を行うということが一つの結論である。
グリーンケミカルエンジニアリング(似た概念として、グリーンケミストリーgreen
chemistry=化学物質に対する規制・管理が強化される中で、環境にやさしい「もの」と「ものづくり」の化学。その概念は、(1)原料については、非化石、再生可能・未利用原料などの使用技術の開発、(2)生産面では、バイオプロセス、高効率触媒、無溶媒・低ハザード溶媒といったグリーンプロセス技術の確立、(3)製品技術では、低毒性物質、非残留性物質、生分解性物質の開発など製造の上流部分から製品化に至る化学産業のグリーン化を実現するための技術を指す。)としては、プロセスの評価、循環型の社会の異業種間の循環、エネルギーを上手に利用する。そして評価を組み合わせ、全体として考えながら、循環型社会を創る。
政策にどう反映するかということで、最終的な結論に入るが、環境問題を考えると、広い立場で環境を考えるようになった。対象が拡大し、環境問題といっても結局の目的は、新しいライフスタイルの構築ということになる。考えるときにいろいろなトレードオフ(trade-off=一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の関係)がある。それが環境問題を難しくしている。例えば、自動車の廃棄物のNOXを減らそうとすると、酸素を減らす、逆に、カーボン粒子ができてきて別な問題が発生する。ということで、廃棄物を処理しようとすると、エコノミカルに成り立たない。
実際に総合的な評価が必要で、効率的なフレキシブルなことをやらなければならない。
そのため、「DO Tank」を提案したい。これは、実際にいろいろなことを提案してもなかなか実行に移らないので、実行を考慮した従来のシンクタンクとも違う「DO Tank」は統合して総合的に考え、実行に移す。
シンクタンクは日本でも科学技術の進行率が低く、国土開発は高いが、循環型構築しようとすると科学技術からの提案が必要で、統合的な評価を行い、社会システムを設計する。縦割り組織ではない提案をしたいということが従来のシンクタンクとは違う。
特に、社会システムを考えるようなものだと、学術会議がある程度関与する必要がある。学術会議は、人文社会系からいろいろな分野の専門家がいる。そういう立場からの提案でないといけない。ライフスタイルとか教育とかでなく、いろいろな立場から考えたDO Tankからの提案が必要である。
最後に、化学工学としては全体としての統合化のマネージメントや製造技術のグリーン化、統合的な評価を行うことなどが担える。統合的に評価しながら実際にいろいろな立場から社会をどう変えていかなければならないのか考えて提言するそういうシステムが必要でそれがDO Tankであり、実際に行動する何らかの仕組みを考えることが、私どもの研究連絡委員会の最終的な結論である。