〔文責:企画部指導課・細貝〕

 

演題:「我が人生航路」  ザ・シチズンズ・カレッジ第85期講座 「歴史的大変革の時、人生のターニングポイントについて考える」

講師:中曽根康弘 衆議院議員(元総理大臣)

第1回講座〔平成13年2月7日(水)19:10〜20:20、イイノホール(東京都千代田区)〕

 


〔概要メモ〕

・     私は材木屋の二男として生まれ、人間形成で記憶に残るものの一つに、5歳〜小学生に掛けて山を見るのが好きだったことがある。物干し台に登り、赤城、榛名、後ろに浅間、谷川が見え、特に夕日が落ちる時の荘厳さ、山から霊気を受け、気がつくと星が出ている。大自然の霊感は大きな影響があった。人間は晩年に宗教のことを考えるものであるが、宇宙的な広がりの中で考えるようになる。

・     母親のことでは、東大の団子坂の近くで下宿していたが、何度となく訪れ、花などを贈ってくれた。ある時、父親から母が危篤との知らせがあり、駅に向かったが既に終電が終わっていたため、翌朝の列車で帰ったが、時既に遅く、逝去していた。何故、もっと早く連絡してくれなかったのか強く叱責したが、母から勉強の邪魔になるので連絡しないでくれとの話があったためということだった。

・     その前後は、母を喜ばすために、高等文官試験の受験のため勉強をしていた。合格するためには30〜50冊の本を読む必要があったが、母がなくなり、一ヶ月位、ぶらぶらしていた。ある時、天命があり、東京に戻り東大の図書館に朝一番で入館して猛勉強したが、一ヶ月の遅れを解消するのに苦労した。

・     その秋に法制局から試験の合格発表を聞きに行ったが、最下位と思っていたが10位以内で合格した。逆に、母が亡くなったことでがんばり、合格に結びついたともいえる。

・     小学校一年では、落合先生という老練な先生が、私をクラスの皆に紹介するときに、将来は、西郷隆盛のような偉大な人間になると言ってくれたのが、子供心にうれしく、励みになった。

・     子供の頃の柔軟なうちに学んだことは年をとっても忘れないものである。

・     内務省時代に結婚したが、その時の仲人は、何をおいても落合先生に頼んだ。

・     海軍時代は、統率を取るため、一番人相の悪い、前科8犯の人を統率役の班長として国のために働いてほしいと選び、一緒になって部隊をまとめた。

・     日本人は下にいけばいくほど愛国心があり、上にいくほど腐敗している面があった。これが政治家を目指したきっかけでもある。

・     戦後、毛沢東の「遊撃戦略論」を読んで強い影響を受けた。簡単に言うと、敵が強い場合は攻撃をしないで、弱い場合攻撃をする。敵の中に入ったら見つからないよう軒下に寝るなどであるが、毛沢東は、これにより、蒋介石を台湾に追いやった。遊撃戦略論はその後の日本の国家戦略を考える上でも参考にした。

・     その後、役人を辞め、政治家になり、自分の志に基づき国家のために動いた。

・     その頃、日本に必要なことは、外国との対抗から、科学技術、エネルギー(原子力)の発展が重要であった。そのため、原子力関係の8法案など、政府には専門家がいかかったことから、民間の力を借りながら議員立法で成立させた。当時、議員立法では、他には田中角栄が高速道路を作るための法案を提出させた位で、皆無であった。今は、そのようなことをリードする政治家はいない。

・     原子力、宇宙開発などの法案では新聞などで批判されたが、誰かがやらなければ前に進まない。志に基づき推進した。

・     通産大臣の頃は、DNAなどの生命科学の振興など、外国にキャチアップするために進めた。

・     総理大臣の頃は、行革、科学技術の振興等には、それにふさわしい人を選んで推進した。国鉄、専売公社、電電公社の民営化についても党を抑えることができる金丸さんや官に影響力がある後藤田さんを据えて進めた。要はやれる人間を集めて取り組んだ。その頃、マスコミに田中曽根内閣などと言われたが、当時は、田中派に人財が多くいたこともあり、中曽根派のポストを減らして選んだ。目的をもって進めばよいものであるので、目的と人間を結びつけた。仕事をする内閣でなくてはならない。何をやったかは結果が残る。

・     外国との交渉でも韓国問題の改善、83年のサミットでは、対ソ連戦略に関して、ミッテランが反対していたが、まとめる必要があったので、私が、日本には憲法第9条の問題があり、このような発言をすると日本に帰って、批判を受けるがあえて意見を述べた結果、ミッテランもだまり、まとめることができ、レーガンの米国での顔が立った。それは、ロン&ヤス関係に結びついている。

・     日本には国家戦略がない。人工的な国家は統治のために戦略があるが、自然国家には戦略が必要なかったということもある。しかし、グローバル化が進む中で国家戦略なくしてよい方向には進まない。

・     米国のCIA、イギリスのK16、中国にしても国家戦略を担う組織があるが、日本にはないので強力な組織を作る必要がある。

・     国民が総理を選ぶ、首相公選についても進める必要がある。天皇は歴史的、文化的、権威の統合を、総理は機能統合を進めるので問題はないはずである。

・     21世紀の国家の設計図を早急に作る必要があるが、@清算(悪いところを切り捨てる)、A継承、B発展が重要である。バブルを完全に清算し、統治権、司法、行政は憲法で規定されているので、憲法の改正も必要になる。教育改革も急務、財政改革も今は未だ早いが、秋頃から進める必要がある。集団的自衛権についても成立する必要がある。

・     最近の政治化には、求道信(仏教の教えを求め、安心立命→天命を悟り、心を動かさないこと)がなくなってきている。神を恐れるとともに、畏敬の念を持って、教えを受けることを昔の大政治家はよくやっていた。

・     政治家は、歴史法廷の被告席に立っているようなものである。

 

〔質疑より〕

Q 志を強く持つためにはには何が必要か。

A それは、志を持つ事である。そのためには、修練が必要である。多くの偉い人の話を聞くとか、本を読むとかして、使命感として自分の考えにまとめていくことが重要である。

Q 今の政治家で党派を越えて、任せたい政治家はいるか。

A それを私が今話すと影響力がありすぎる。50〜60代の政治家は、子供の頃は日教組の影響、大学の頃は学生運動の影響であまり勉強していない面がある。30〜40台に人財がいる。50〜60代の政治家に軌道修正させ、つないでいくことが必要と思われる。

 

 

 

〔企画部指導課コメント〕

学習とは、自分の知っている国から、知らない国へ行く旅とも言えるが、85期のビジネススクールのトップを切る講演であり、時局・政治講演とは違った角度からの切り口であった。

 

中曽根さんは、政治家になった時から、信念と志を持ち、日本の進むべき方向と戦略を考え、総理になったときに、日本のためにやるべき青写真を考えていた最後の総理とも言える。

そのためには、自己研鑽、ネットワークづくり、リーダーシップの発揮が前提になっている。

ビジョン、戦略・戦術は、企業経営においても合い共通する面がある。

政治家は日本の国のために仕事をし、その結果についても責任をおうということは、他人のせいにすることが常識となっている政治の世界に必要最低限のことではないかと思われる。