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全国木材産業政治連盟時局大講演会
「日本経済の現状と展望」〔講演概要全文〕


   

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3.小泉政権下の24ヶ月

小泉政権が発足してから2年間の株価であるが、14529円を出発点に、4月28日は7607円とちょうど半分になった。政策の基本路線であるが、高原ルートで行くのか、北壁ルートで行くのかということになると、小泉政権は先に話したように、北壁ルート、よりよい明日を目指す米百票の方針で、2年間、一貫してそれを貫いたかというとそうではない。

図にあるように、2001年の4月から12月、国債30兆円枠ということで緊縮財政。企業に対しては、退出すべき企業は市場から退出させる。立ち行かない会社はつぶすということで、その結果、株価がストンと下がり、1万円割れ、景気も急激に悪化した。2001年の12月に青木建設が倒産した。

その時、総理は構造改革が順調に進展している現われではないかというコメントがあった。ところが、そのコメントを受けて、翌日から、銀行株が急落し、当時から、危ない会社30社リスト、50社リストが出回り、危ないといわれている会社の株が急落した。

関心を集めたのはダイエーという会社だった。ダイエーがいよいよ破綻するか?。もしあの時に、政府が退出すべき企業は市場から退出という方針で進んでいれば、間違いなく、ダイエーは倒産した。ダイエーが倒産すれば、お金を貸している銀行が傷つく。ダイエーの倒産をきっかけに次から次へ企業倒産が広がっていったはずである。

どうなったかというと、そういう状況になると出て来る言葉は、「柔軟かつ大胆に変える」ということで、政策がころっと変わった。それが2002年の前半、どう変えたかというと、個別の企業の救済はしないといっていたのをダイエーに対し、4,200億円の金融支援策、銀行がやっているが政府が手を回している。

何をするかというと、貸したお金は返さなくてよいという債権放棄という借金棒引き、こんなことをしてくれる皆ありがたいのであるが、特定の政治力のある会社に限られ、こういう取り扱いが数十社に渡って適用された。危ないといわれていた会社が軒並債権放棄ということで処理が進んだ。

2001年10月28日のNHKの日曜討論に私が出演し、補正予算が必要だと発言したが、塩川財務大臣は補正予算は絶対組まないといっていた。結局、2002年前半、2度補正予算を組んだ。政策が北壁ルートから高原ルートに変わった。

その結果、株価は11,979円まで上昇し、政府は景気底入れ宣言を発表した。政策を変えたらよい流れがでてきた。ところが2002年6月に政府がデフレ対策第2弾を出したが、一転して緊縮政策に変わった。中小企業にも増税する外形標準課税の導入検討、健康保険法の改正で医療費の本人負担2割負担を3割負担、年金給付の減らすという話が軒並出てきた。

2002年7月7日にNHKの日曜討論に私がでたが、その時、景気が順調に動き始めているが、この緊縮政策で進むと必ず補正予算が必要になるので、早めに対応してほしいと発言した。竹中大臣は補正予算は愚の骨頂と言われた。2002年の9月30日には、大銀行をつぶすという話が出てきて、あっという間に株価が9千円を割り込む、これが2002年秋。こうなると「柔軟かつ大胆に変える」ということで、政策が変わり、補正予算を5兆円の国債発行する形で打ち出した。10月30日には大銀行はつぶさないという方針に変わった。株価も9,215円に少し上がった。

ここで景気回復に取り組んでいれば今頃は事態が変わっていたが、残念ながら2003年に入って、国債5兆円を発行したので、国債発行額が昨年度35兆円になった。小泉首相は国債発行枠は30兆円以上発行しないと発言していたので、新聞記者が政策転換したのかということを質問した。そうすると、「何を持って転換というのか、政策の転換ではなく、政策の強化、改革なくして成長なしの路線は微動だにしない。」との発言が続き、再び政策の路線は北壁ルートになり、株価は下落を続け、この政策が維持されている間は難しい。

 

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