NHK特集選(平成11年1月27日放映)   

 


 12ぶりに「終わりなきコストダウン」を見て、改めて、当時強烈な衝撃を受けた映像から、未来に向けて、生残りをかけた再展開の道程が印象的でした。

当時(昭和63年)の240円→120円の急激な円高で、輸出比率7割の状況は単純に言えば、手取額が半分になる。事実、円高のはじまる前の利益水準から見れば7割のダウンでした。かといって販売価格を2倍に上げることは、国際競争力の点からも無理なことでコストダウンしか道がないというプロローグでした。

 マツダは当時の生産台数70万台?のうち7割を輸出にたより、米国等からの圧力で部品の海外調達を2倍に増やすということもあり、600社の自動車関連の下請け、孫受け(規模は大は1000人以上から家族労働まで、合計の従業員数は3万人)に対して、厳しいコストダウンを数次にわたり要請しました。

 は、十数年前には数人で始めた企業が当時、1400人の従業員を抱えるまでに成長した企業でしたが、親会社からのコストダウン要請に下請け孫受けの企業に対しても、例えば、車のシートは150個の部品で構成されているが、各部品一つ一つを細かくコストのチックをして、コストの見直しを行い、コストダウンについてこられる企業の選別を行いました。

 また、孫受けの工場の現場まで立ち入り、購買部長ほか7人のグループで1日かけて工場診断を行い、作業行程、作業動作、機械レイアウト等を含め細かくチックしてました→片手作業のものがあれば、両手でやれば二人分の作業ができる。機械と機械の間のレイアウト改善、まで含め、ストップウオッチでチェックし、具体的な改善を指示し、機械と機械の間の歩数まで考え、このようにしたらこの人はいらなくなるとか、終わりなきコストダウンの究極をとらえた映像が印象的でした。

 単にチックするだけでなく、日数を置いてコストダウンの改善がどこまで行われてい

るか、達成状況とさらなる改善を数次にわたりチックを行っていました。

 でも海外の部品調達について、国内部品調達担当者はこれまで厳しいコストダウン要請に、下請けが努力してついてきているので、25%を主張していましたが、最終的にはトップ(担当常務)の判断で50%になるなど社内でもその立場によって担当間で激論が交わされたようです。

 さらに、ライバルメーカーの車をネジ一つ一つに至るまで分解し、動作、機能、構造などを調べ自社の使っているものとどれくらい違うかをデータ化。自社の開発に利用していました。→当然、ライバルメーカーも同様

 デルタ工業の下請けに対する工場診断でも単に能率を上げさせるばかりでなく、余った人に何をやらせるかその提案を含めチックし、中には下請けからの脱却や孫受けに転じたり、新たな分野に進出した下請けもありました。

 このコストダウンは終わりがないコストダウンでその厳しさを再認識しました。

 最後にコメンテータがマツダはその後も業績が悪化し、平成6年には441億円の赤字に転落。平成8年にフォードの傘下に入りましたが、その後は小型のRV、デミオのヒット、プラットフォームの適正化、販売チャンネルも5チャンネル→3チャンネル、当たるのを待つのではなく、これと決めて実施する戦略型の展開に転換、下請けに対しても家族的苦楽を共にする空気から、対等のパートナーとしての展開等活性化し、再展開が起動にのったとのことです。

 今後もアジア諸国の技術的進歩が進展し、技術本位の新しい競争が続くようです。

〔ここでの教訓〕

・努力すれば報われる。→大きなタイムラグ(約10年)はあるが(伊達家の再建のときも同様で、要は、「為せば成る 為さねば成らぬ……のように)

・人がやなないことをやる→少しでも差別化

・対等のパートナーとしてお互いに提案しあい次のステップへ

・トップの信念とトップダウン

・危機はチャンス(特に下請けの中には新規分野に進出し成功。要はやる気)

・何もしなければジリ貧しかない

注:リストラ中心で、「夢」に向かうチャレン

ジの紹介がないことが残念。リストラが長期にわたると夢がなくなる。→人は夢を与えると倍働く(文芸春秋1999.2月号173頁)もの